2011年2月20日(日) 02:33:22 @ Charlie

CCNA 640-802J 更新

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そういえば CCNA の更新忘れてた。どうしよう。

CCNA 受験前の風景

CCNA の更新が 2010年の 8月頃で切れた。

本来であれば、少なくとも秋には受験しに行っていたはずなのだが、知人の不幸が立て続けに起きたり、キャンプしたり、高速でスピンしたり、ボードしたりして、気づけば 2月である。

ところで、世の中には計画的に物事を進められる人と、そうでない人がいる。私は前者と自負している。その証拠に、 CCNA の勉強はなんと 2010年 4月あたりから進めていた。しかし、どういうわけか、勉強が終わらないのである。

ざっくりとした CCNA 試験範囲
  • OSI 階層モデル
  • IP アドレス、クラス、VLSM、CIDR
  • スイッチの仕組みと動作
  • ルータの仕組みと動作。特に Serial の設定
  • STP、RSTP 仕組み (L2レイヤの冗長性)
  • VLAN、VTP 設定 (仮想サブネット)
  • ポートセキュリティ設定 (スイッチのポートへの MAC アドレス登録)
  • ルーティングプロトコル RIP、IGRP、OSPF、EIGRP とアドミニストレーティブディスタンス
  • アクセスリスト設定
  • NAT 設定
  • フレームリレー設定
  • PPP 設定
  • DHCP 設定
  • 無線LAN
  • ちらっと VoIP

※ 区分けが面倒だったので、各層のプロトコル、3wayハンドシェイクから Cisco の階層モデルまでを、階層モデルにぶちこんでいる。興味がある人がいるとは思えないが、詳細は CISCO のページで確認していただきたい。

覚えては忘れる、覚えては忘れるの繰り返しで、ルーティングプロトコルあたりから一向に進まない (上から順番にやっているのである)。

このままではいけないと思い、とりあえず、試験予約を入れて自分を追い込んでみることにした。 CCNA はピアソンビューでしか受験できなくなっていた。土日での受験を希望だったので、 3つある試験会場から利府の試験会場を選択、 2/20 に予約した。試験まであと 3 週間。

3週間もあるんだ、まだまだ余裕だな、とか思って Oblivion で新キャラ作っていたら、 1週間前になって、あれからまったく勉強が進んでいないことに気づいた。いちおう、教科書の先まで読み進めはするのである。しかし、覚えられないのだw

こりゃやばいということで、勉強のやり方を変更することにした。

まず、上記の試験範囲の中から、設定に関するもの (シミュレーション問題がらみ) は、項目ごとにテキストにコピペし、必要コマンドを一目瞭然にする。そして、別のテキストに、 IP アドレスを変更した問題を適当に考え、コマンドをテキスト打ち (設定) していく。身体で覚えて、設定内容を強制的に記憶に焼き付けるためだ。むろん、設定ではない show 等の確認・デバッグ・オプションコマンドも、問題にしてテキスト打ちしておく。

そして、私が最も苦手とするタイマー時間、単語等の暗記ものは、設定にからめて覚えていく。教科書覚えているうちは、 frame-relay 関連で PVC やら DLCI やら LMI やら BECN やら、イミフな単語がいっぱいあって覚えられねーよと嘆いていたが、意外と何とかなった。

なお、前回の試験では使っていたスイッチの実機は、スイッチの基本が分かった今となっては使わなくなってしまった。エミュレーションで十分だし。

さらに無料の問題サイトもいくつか回っておく。

というのを、試験の 3 日前の有休からやり始めましたw

おかげでボードにも行けず。まあ、 APPI のパークで肩から落ちて、それがまだ痛いという理由もあったわけだが。いつも脱臼気味な感じ。

ともあれ、私の日常の勉強風景は、他のサイト見たり、楽天見たりと落ち着きがない。しかし 3日前ともなれば、わき見する余裕なんてものは一切なく、朝から晩までずーっとテキスト打ちと、問題を解いたりして暗記していた。おかげで肩が凝ってしょうがない。肩甲骨あたりの骨が鳴りまくり。

受験日の前日は仕上げに当てた。しかし、片っ端から忘れていくので、夜中 1時まで勉強している。

切羽詰らないとやれない人間である。この日、人間は追い詰められないとやらないんだなあと実感した。私は計画的な人間と自負していたが、自負していただけだった(ワラ

CCNA 受験当日

11:45 に予約いれていたので、ゆったり起床。 10:30 に出発、11:15 頃にはついて、写真撮影などの手続きを行なった。早めに受験しても OK とのことだったので、時間前に試験開始。

1問目から早くも余裕がない。頭に血が上って、思考力も鈍りがち。問題を解くのに時間がかかるのは、内容にも原因があった。

3年前は、選択問題が主で、 1 ~ 2問のシミュレーション問題という構成だったように記憶している (私の記憶力のなさには定評があるが)。

それに対し、今回の CCNA は、やたらとシミュレーション的な問題が多いと感じた。より実践的 (コマンド入力的な意味で) になっているようだ。

例えば show run で現在の設定を把握させ、そこから「相手ルータxxxとの DLCI の番号は何ですか」「~~~できないのは何が原因と考えられますか」という問題が 5問くらいあった。しかも、 1 つのシミュ的問題に関連した選択問題が 3 ~ 5問くらいあるから、よけいに時間がかかる。選択問題なのに、コマンド叩かなければならないのにも戸惑った。

全体的に、シミュレーション的な問題の比率が上がっていると感じた。選択問題に関しては、無料サイトの問題に通じるものがあるが、全てが同じというような問題はほとんどなく、応用を利かせる必要があった。

ルーティングプロトコル、アクセスリスト、frame-relay は完全に覚えておく必要がある。設定できるだけではなく、その意味も。

ルーティングプロトコルでひどいと思ったのが、 EIGRP アルゴリズムは DUAL、 OSPF は Dijsktra とかいう問題もあった。各ルーティングプロトコルは重要なので、重箱の隅をつつくように覚えておく必要はあるかな。 RIP のアルゴリズムがベルマンフォードというのは覚えていたのだが。

DHCP がらみの問題もあった。

無線 LAN はちょっと出た。
IEEE802.11[abg]、 Bluetooth の周波数帯、速度、チャンネル数、変調方式等の具体的な数値に関しては出なかったが、隠れている可能性はある。
2.4GHz 周波数帯に影響する電子レンジやコードレスフォン、金属キャビネットは出た。
CSMA/CA 方式の仕組みも出たような。
あとは無線LAN セキュリティについてのあれこれと、オーバーラップは 15% 未満で異なるチャンネルを使ってローミングする、とか覚えておけば十分だろう。

VoIP は予想通り、出なかった気がする。運悪く出ても 1 ~ 2問くらいのものだろう。 VoIP は SIP あたりを覚えておけばいいのではないだろうか。私は検索で出たページを見ていたくらいだ。

思いのほか時間が過ぎていくことに焦りを感じ、自信がない問題に関しては、上部にあるメモに hoge と入れて、後で見直そうと思った。しかし、見直す時間が取れるかどうか分からなかったため、最適と思われる答えを選びつつ、進めていくことにする。これが後に命を救った。

試験終了 30 分前に、最後の問題を解いた。チェックをつけた 10問くらいを見直すため、間違っても試験終了ボタンを押さないよう、次に進んだら、予想外の自体が。

強制的に採点されてしまいました。

え、どういうこと?

以前は試験の終了前に、最初の問題から見直しできてたんだが、もしかして別のボタン押した?

試験は終わったので、それとなく係員さんに聞いたら、 CCNA 試験は問題を見直すことができなくなったらしいとのこと。つまりは一発本番。後戻りできない潔さ。そんな潔さいらねーよ。

問題のメモ欄に、後で見直そうと思って hoge と入たのは何だったんだろう。今にして思えば、あのテキスト入力ボックスは、計算とかに使いなさいということなんだろう。でもメモ用紙渡されてるんだから、そっちで計算するだろ普通。

結果は合格しました。 930点くらいだった。 860点くらいが合格だから、余裕そうに見えて、実はまったくそういうこともなく。あの 3日間の猛追がなければ、間違いなく落ちていた。

お祝いにモスバーガー食べた。

やべぇ、開放感がハンパないw

これだけプレッシャーを受けたのは、 3万円 (このときはキャンペーンで 9千円引き) という受験料もさることながら、私の活性 (遊びに費やす時間) が高くなる冬に試験をしていたためだ。

つまり、試験に失敗することで、また勉強に時間を取られ、遊ぶ時間が失われることへの恐怖である。

結論として、資格の受験は、自分の活性が高くなる時期にするべきではない。

2011年1月11日(火) 23:27:02 @ Charlie

冬眠

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年明け早々ひどい目にあった。

1日目

朝起きると、なんとなく風邪を引いたかなと感じた。

この時点では、頭が痛いわけでも、熱がでていたわけでもない。寝起きが良くないのはいつものことではあったが、しかしそれとは違う変調を感じていた。

これ以上悪化してはいけないという気分になり、滅多にしないマスクをつけて会社に行ったことは覚えている。

昼頃にはすでに寒気を感じ、インナーダウンを着込んで仕事する変な人。

時間の経過とともに症状は悪化していった。

夕方近くなると、朦朧としてきた。

風邪、乙、と思った。

明日も熱がでるだろうと予測し、有休申請して、業務終了後、すぐ帰った。

2日目

休んで正解だった。熱は 39℃以上になっている。

昨日買い込んでおいたジンジャーエールで何とか水分補給できている状態。

寝ることにする。

たまに起きては、ジンジャーエールとみかんで栄養補給する。

3日目

朝。熱が下がる気配がない。 39℃台をキープしている。

今日も眠ることにする。すでに 36時間くらい寝ているが、限界に挑戦してみよう。

これだけ高熱が続いたことは今までなかった気がする。ダメージが蓄積されて、慢性的な頭痛になっている。とりあえず優しさより効果が欲しいのでイブを飲む。

これは普通の風邪ではないだろう。噂のインフルエンザか。

脳を熱から守るためには水分補給するしかない。しかしジュースも切れた。試しに水を飲んでみたが、喉が刺激されて飲みにくい。そういえば、ポカリは砂糖と塩で作るみたいなことをどこかで読んだ気がする。

やってみた。水より飲みやすいが、微妙な味。配分が悪いのか。

ふらっふらになりながら、アパート前の自販機までポカリを買いに降りた。500mlペットボトル3本で450円だった。単価たけー。

釣に行くときの保冷剤代わりに 1L ペットボトルを冷凍させているので、それにタオルを巻いてアイスノン代わりにした。重い。

夕方に起きた。だめだ、もう眠れない。 48時間は寝ただろう。床ずれみたいになって体は痛いし、血行が滞っているのか四肢に鈍い痛みがあるし、熱は相変わらずで頭は痛いし、人間は横たわったまま生活するようにできていない。コアラの基本姿勢がだっこちゃんであるように、人間の基本姿勢は直立だ。

そして水分補給したそばから下ってしまうので、厳しい戦いになってきた。

4日目

人間やればできる。気がついたら朝になっていて、熱も 37℃台まで下がっていた。軽い頭痛はするが、昨日に比べたら天国だ。

かれこれ 60時間は寝ただろう。

ジュース分をさらに追加し、今日はみかんポカリみかんポカリのチェーンみかんポカリ。

5日目

平熱に戻った。体調はまだおかしいが、固形物もちょっとなら食べられる。よかった。

6日目

有休でボード行くはずだったが、体力的に無理そうだったので、回復に宛てる。

そして午後に問題発覚。インフルエンザの陰性証明がないと会社来ちゃだめとのこと。マジか。

15時に近所のクリニックに行ってみると、いるわいるわ。これだから来たくないのである。

インフルの疑いある私だけ別の待合室で待たされた。私しかいないので、進行状況がさっぱりわからない。

2時間以上かかった。体調悪くないからいいんだけど、悪いときにこんな待たされていたらキレそうだ。順番来たら携帯に電話もらうようにして、家で待ってるとかできないのだろうか。 2分で着くし。

みんな辛抱強い。私は二度とこねーと思うけど。よけい体調悪化するわ。

検査後、押しの強い先生に強制的に点滴を打たれ、そこから 2時間くらい死ぬほど暇だった。本でも持ってくれば良かった。

検査結果はインフルエンザ陰性。発熱中じゃないと陽性にならないから、かかっていたかどうかはすでに証明不可。しかし気管支炎を誘発したそうで。だから抗生物質打ったんだ、と先生どや顔。

その後、肺のレントゲン写真を見ながら説明されたのだが、肺に炎症があるんだから肺炎じゃないのだろうか? 気管支は肺を含まない気道のことだと思っていたが。まあ、何でもいいか。どうせ炎症の一種だから治るだろう。先生も、若いから抗生物質4日ほど飲めば大丈夫だろう、と言っていたし。

治療費と大量の薬で 5時間拘束された上に \6,500 くらいかかった。やはり健康がいい。金がかからなくて。

2010年12月26日(日) 23:15:23 @ Charlie

命あっての物種

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今年のクリスマスは連休が作れたので、実家に顔を出しに行くことにした。

2泊した帰り道。

ホワイトクリスマスで一部の人間が喜ぶ中、青森から仙台に向かう高速は、事故車が相次いでいた。八戸自動車道から南の高速は、強風でホワイトアウトするわ、横風で車がスライドするわ、雪がちらちら降ってきて集中力が削がれるわ、最悪の状況だった。

そんな中、左車線を 100km/h 以下で走っていると、横風にあおられて車がスライドし、左に溜まった雪に、タイヤが少し乗り上げてしまった。すると車は右に押し返され、ノーズが右回転を始めた。アクセルを抜いて小刻みにカウンターを当てたものの、回転が止まらないのでさらにカウンターをあてたところ、 90°右回転して真横を向いたところで、今度は左回転を始め、慌ててまた逆にカウンター当てたものの、車はハーフスピンして、見た目逆走である。

どこにもぶつけず停まれたし、後続車もなかったのでラッキーだったが、その日はハーフスピン ( 実際は 270 度だが ) 事故が 1 回、そこまでは行かなくても、 1/8 くらいのスピンを 2 回やって、本当に生きた心地がしなかった。ちなみに 1/8 スピンは 80km/h 以下の低速走行中で起こっている。だからこそ立て直しが効いたのだろうが。

その日は 3 件くらい事故車を見た。

結果は保証しないが、以下のようなやり方で運転してきた。

  • MR-S での雪道高速走行は常に滑っている状態。滑りを感じたら、即座にアクセルを抜くこと。イメージ的には、ポンピングアクセル。
  • アクセルを抜いた状態でも、運悪くスピンを始めたら、ポンピングブレーキをすること。うまくいけば立て直せる。それで復帰できたので。
  • ちなみにハーフスピンのときはアクセル抜いていただけで、ポンピングブレーキはしていなかった。車の速度を速やかに 0km/h にすることが重要だと思う。
  • それ以前にスピード出すなボケェ。
  • でもだいぶ経験値上がったw

今年最後のぼやき

エコ

今年は太陽が頑張りすぎたせいで、長い間、夏が幅を利かせていた。そのせいで今年こそはと思っていた紅葉狩りのタイミングを逃してしまい、悔しい思いをしている。会社帰りの銀杏並木や、高速の PA(パーキングエリア) で真っ赤な紅葉を見たが、いまいち納得していない。来年こそはがんばろう。

季節は冬を迎えた。

11月くらいに、「今年は冬が早足で通り過ぎる。 12月に大量の雪が降り、 3月には融けてなくなるだろう」と聞いた気がするが、そんなことはなかった。 12/17 時点で、宮城県周辺のスキー場の積雪は 20 ~ 30cm。やけくそ気味にオープンはしているが、ソリで遊ぶのがせいぜいといったところ。スノボで間違って転んでしまい、下に石なんかがあった日には、膝の皿が割れたんじゃなかろうかというダメージを受けるのは必至である。かく言う私の人生初スノボがそれだ。

このような状況下で、私のボード・フィーバー(熱) は燃焼せず、スノボ用品で散財して景気回復に一役買いたいという気分にならなかったのは、致し方のないことである。無駄遣いしなかったせいで、車検も任意保険も火災保険も生命保険も支払って、手元にはいくばくかのお金が残る計算 (複式簿記で家計簿つけているので分かりたくないのに分かってしまう) だ。非常に珍しい現象である。いつもはマイナス側に振り切っているのだが。

こうして、今年末は若干の余裕があった。しかし、実家への経済支援 (家人が失業中) もあるし、私だけ無駄遣いするのも気が咎める。自分で稼いだ金だからそんな気分にならなくてもいいはずなのだが、現在進行形で慎ましく暮らしている家人のことを思えば、余った分は振り込んでおくかという気分にならないこともない。何というか、枯れてしまった感がある。

月にさほど多くの給料を貰っているわけでも、ボーナスが出ているわけでもない。年金なんて出ないと思っているから老後の見通しは立たないし、貯金だってない。借金がないだけマシな状態だ。とはいえ、実家に仕送っているから、金銭的に余裕があるわけでもない。

それでも、毎日シャワーを浴びて、たまに湯船に浸かって、温かいご飯が食べられて、冷たいアイスやデザートで幸せになって、スノボに行けるくらいはお小遣いがあって、猫だって飼えるゆとりがある。

それ以上、何が必要なのだ?

私はキャンプが好きである。山登りでもいいが、キャンプに行くと、如何に今の生活が便利なのかを、理解させられる。日常生活で何気なく使っている道具が、人類の英知の結晶であることを実感するのだ。

日常生活において、蛇口を捻れば水がでるし、コンロを使えば火が点く。米も簡単に炊けるし、シャワーでお湯も使える。汚した服は洗濯機が洗ってくれるし、もしかしたら乾燥までしてくれるかもしれない。温かい布団で安眠し、暑ければクーラーや扇風機で涼を取る。

今の日本では当たり前のことかもしれないが、キャンプに行くとこれら全てを自分で用意しなければならない。水場のないところでキャンプをしようものなら、何リットルものペットボトルを持参しなければならない。バーナーを忘れれば、竈を組んで火を熾さなければならない。しかも、そこらの枯れ木を拾い集める手間がかかる。乾燥していればいいが、湿った木は煙いだけだ。温かく寝たいならテント・シュラフ・マットと工夫しなければならない。

お金があれば、そういった道具を購入できるから、今の世の中は凄いと思う。食べ物もそうだ。稀少な肉でもお金を出せば購入できるし、スーパーの野菜コーナーには見慣れた野菜のほかに、食べ方のわからない野菜が一角を占め、日本人の心でもある米は、品種改良を繰り返して美味しくなっていく。これらを自分で穫ってきたり、育てたりするのはまず無理だろう。

原始生活をしなければならなくなったとき、おそらくこれらのほとんどを用意できないだろう。それは快適な生活ができないばかりでなく、生きることが困難になるということだ。そのことを考えれば、今の生活の何と幸せなことか。江戸時代あたりの (に限らず昔の) 日本に生まれなくて心底良かったと思える。

「もの」があるということは、それを作るために苦労した人々がいるわけで、お金を払って正当に手に入れたものであっても、常にありがたい、とか、やるなあとかいう思いを抱いていたいものだ。それこそが、エコ以前の精神、感謝の気持ちというものだろう。

故に私は思う。

エコエコうるせーんだよw

ゴミの分別も、大量のゴミを出すところも、まだまだ日本は中途半端だ。とりあえず、いただきます、ごちそうさまあたりの精神的支柱を育てて欲しいものだ。

ちなみに私は、いただきますとか言わないのだが、言わないからといって感謝していないわけではない。

それこそ個人の自由というやつだ。しかし、知っていてやらないのと、知らないでやらないとでは、前者の方が個人の意志が入っている分、ましだと信じたい。

保護団体

鯨とかを保護する団体ってどの面下げて保護保護言ってるのだろう? 何で特定の対象だけなの? 命に重みがあるの? どうやって重みをつけてるの? 独断なの? 対象以外の命は価値が低いの?

私菜食主義だから動物殺さない、とか、意味不明な優越感を持っている人がたいていこういう職業の人に釣られたりする。菜食人だろうが肉食人だろうが、食べるために獲っている人間に、生態系が狂うからという理由ならまだしも、鯨やイルカは頭がいいから獲るのは野蛮とか、可哀想だから獲るな、なんて言う資格はないわけで。

人間は感情が入ると途端に狂った行動をするから、それに付き合わされる人たちは大変ですね。

妙な感情論を振り回している人間だって、絨毯を歩けば一踏みごとに数十・数百単位のダニを殺すわ、蚊取り線香で蚊は殺すわ、車で蛙を踏み潰すわ、魚で作った肥料で育てた野菜は食うわ、動物なら卵にあたる菜種で絞った油を疑問もなく使うわ、人工ファーはダサいとか、鳥の毛をむしったダウンは温かいとか、ルアーで大物釣ったとか、数十万の革のバッグなのとか、数千万の毛皮とか、馬鹿なの、死ぬの?

人が生きていくうえで、どれほどの命を奪っているか、本気で考えたらそんな恥知らずな団体に同意できないと思うのだが。

恥知らずというのは、自分の命が気の遠くなるほど多くの命の上に成り立ったものであることを認識せず、他人に生き物を殺してはいけないとか、自己満足な感情を押し付ける行為のこと。

ちなみにダニや蚊を大量虐殺するのは、恥知らずとは違う。単に無慈悲なだけ。汚物は消毒(ry

わたし鯨が好きだから鯨食うんじゃないわよカス、とストレートに言ってくれたほうがよっぽど納得できる。つまり、そういうことを知っていて保護活動に興じているか、知らないで踊らされているかの違いだ。私は前者の方が好感が持てる。

話が飛ぶようだが、今年、地デジチューナーを購入した私は、なんとはなしに NHK の番組を見ていた。

恒星間航行をした地球人を題材にした番組で、 2 億年の時間をかけて戻った地球にかつての面影はなく、ここが本当に地球なのか、どうすれば証明できるのか調査する、という物語だった。

大陸は移動し、合体を繰り返し、人類の痕跡は地や海の底に埋まる。都市や建造物は歳月によって侵食され、何かにコーティング保存されるような奇跡でも起こらなければ跡形も残らないくらい遠い未来の話だ。海から超大陸に吹く湿った風は、長すぎる距離を移動する間に乾いた風となり、中央部は乾いて砂漠化する。海流も不活性化するかもしれない。豊穣な海の姿は失われ、そこにかつての地球の面影はない。

月の距離を調べればいいんじゃね?

地球と月は 3.8cm/年 で遠ざかっているそうだ。現在の地球と月の距離 38万4400Km 。ということは、

0.038m * 2億 + 384,400,000 m = 392,000,000

本星から約 39 万 km 程度の位置に、ウサギが餅をついている衛星があれば、地球の可能性が高いだろう。

だが、彼が、人類のより確実な痕跡を発見したがる気持ちは分かる。

ネズミのようなキモレステスが、 6000 万年の間に人類の原型に進化したことを考えれば、 2 億年後の未来には、おそらく人類は存在しない。人間という種が続いていたとしても、人間のままで存在しているかどうか怪しい。もはや別の何かになっている可能性が高い。これは 6000 万年の間に、ねずみのような小動物が人類に進化した事実を見れば、さほど突飛な考えではないだろう。

まして、絶滅種はどれほどの数に上るだろうか。一種ならまだしも、生物分類上のや、それ以上の単位で絶滅している可能性だってあるのだ。

こうした現実の中で、保護保護言われても、私にとっては現実味がない。ひどい話だが「意味あるのか?」とすら思ってしまう。捕鯨船に体当たりして自分の船を壊すなんていう、頭の悪いデモンストレーションをしたピエロがあふぉなこと言ってるよ、程度にしか思えないのである。

また話は飛ぶようだが、 Muv-Luv というゲームに BETA というエイリアンが登場する。この BETA、人類とは意思が通じず、人類を駆逐しながらユーラシア大陸を席巻後、日本に南下して地球全土を覆いつくそうとしている。人類側は、大量というにも馬鹿馬鹿しいほどの数の BETA を、戦術機と呼ばれるロボットを駆使しながら戦うという内容。

私はプレイしたことがないので、 Wiki あたりから見聞きした内容で推測しているが、人類と BETA の関係って、今の人間とそれ以外の動植物の関係だよなあって思ったりする。

例えば人間は家畜を育てる。彼らにしてみれば、人間は餌をくれるいい人だ。しかし、ある日突然殺されてしまう。人間側に立つと、育てるのは獲れる肉の量を増やすため、個体数を増やしているだけなのだが。殺される側からしてみれば、意味が分からないだろう。

こういった例は、相手の形状が虫や微生物のように、人間とかけ離れていく程、無造作に行なわれることになる。たとえ彼らと意思疎通できたとしても、気づかずに殺すし、それに気づいていたとしても、殺さずに生活することなどできない。それはある意味仕方のないことだと思う。

人類は知識と知恵に磨きをかけたが、あるものは数に、あるものは大きさに特化した。30m オーバーのスーパーサウルスが、蟻を踏むと可哀想と考えるわけがない。それ以前に気づきもしない。それは弱肉強食以前の問題で、蟻にとっては天災と同じである。蟻は蟻で、大量の同胞を養うために、さらに大量の命を奪っている。それが生命の営みというものだ。

BETA に殺されまくっている人類側にしても、今まで自分たちが他の生命にやっていた事が、我が身に降りかかっているだけだ。自分の番がやってきただけなのだ。だからと言ってそれを黙って受け入れる必要はない。必至にあがき、生き残る努力をすることこそ、生物としては美しい。

そういうわけで、 NHK の番組に非常に影響を受けた私は、明日でも 1 年先でも人生でもなく、世紀でもなく、時代でもなく、歴史でもない。ネズミのようなキモレステスが人間に進化した時間以上のスパンで、超大陸パンゲアが複数の大陸に分裂し、さらに遠い未来に超大陸が形成されるという、気の遠くなるような数億年単位の時間で考えてしまうようになり、何事にも諦観してしまうのである。

頭で考えているだけだから好き勝手を言えるのもまた事実。そんな私でも、

葉っぱ一枚じゃ足りないw

YATTA – はっぱ隊

ヤッタ!ヤッタ!(ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!)
大学合格
社長就任
葉っぱ一枚あればいい
生きているからラッキーだ

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