Bloody Mary - blog

Bloody Mary 別館

LPIC レベル2

会社がつぶれるって珍しくないよね

世の中、派遣切りだ、リストラだ、ホームレスだ、等と騒がれる中、うちの派遣はあまり影響がないようだ。

リストラ? 馬鹿言うな。慢性的な人手不足なんだからもっと入れろ。

という感じ。もしかすると影響しているのかもしれないが、下っ端の身としてはたいして興味はない。

興味があるのは身に降りかかる災難をいかにかわすかということと、さほど多くない趣味に関することだけである。

降りかかる火の粉は払わなければならない。だとすると元凶を放置しておいていいのだろうか? 遠く安全な場所からビール片手に見物? それもいい。だがしかし、燃え盛る木造の家は、速やかにぶっ壊すべきだろう。

過剰防衛と言うなかれ。これが危機管理というものだ。

やられたらやり返すハンムラビ法典信奉者的な性格。一言で言うならしっぺ返し。これが私の基本動作になっている。

危険思想のようでいて、何事もなければ平和に暮らせるわけで、実際これまでの人生の大半を受身と惰性で暮らしている。精神的な脊髄反射で生きていると言っても過言ではない。自然と受動的な体質になるわけだが、常識的な会社で働いていればさほどストレスを感じなくて済むというメリットがある。

一方で、何事もない日が続くと、「刺激を受け続けることで閾値が高くなり、だんだん反応しなくなる海綿動物」のように、精神的に不活性化してしまう。最近はおかしな人間が身近にいないせいで、仏様になったんじゃないかと思ってしまうくらい穏やかだ。

と言った舌の根も乾かぬうちに

そんな海月 ( 水母。クラゲ。海に浮かんでいて偶に刺す。お盆過ぎに大量発生するあれ ) のような人間から言わせてもらえば、不況だアンチ派遣村とか言ってる人たちは、マスコミに踊らされている。

自分にとって不利益というなら話は別だが、あんま関係ないよね?

救助活動に対する文句を言うのは、見ていてあまり良い気持ちにはなれない。何やら他人の足を引っ張っている人間を見るような気分になるからだ。

もっとも、そういった人たちにも言い分はあるはずだ。

選ばなければ仕事なんていくらでもあるんだから甘ったれるなとか、自分ならこうするから彼らもああすればいいとかいうアリガタイ意見だとか、自分が頑張っているのに救済されずなんで彼らだけが救われなきゃならないんだとか、とりあえず金くれだとか、まあ、色々思うことがあるのだろう。

支援を受ける人たちの中には、この機に乗じて得をしてやろうとか、楽ができるとか考えているフココロエモノも存在するはずである。だが、その手の人間のために救済措置はよせという意見はおかしい。それは救済する側がフィルタすべき問題であって、本当に困っている人間を救済してはいけない、という理由にはなっていない。

確かに、住む家もなくなっているのに仕事の選り好みをして働かない人間を見ると、自分で何とかしろよという気分になるのも分からなくはない。しかし、真剣に探しているのに仕事が見つからないという人だっているはずだ。比率はよく分からないが。

それを踏まえた上で、救う価値がない人間を間違って支援してしまったとしても、大量の失業者を放置するデメリットの方が大きいのではないだろうか。生活保護でかえって余計な税金使われたり、治安が悪くなったり、国の体裁も悪くなったり。

だからまあ、他人のやることに首をつっこむのはやめようじゃないか。所詮他人事だ。

ちなみに私は派遣村に関しては何の感慨も抱いていない。助けてくれと頼まれたならまだしも、能動的に援助しようという気はさらさらない。

自分で自分の面倒が見れない人間は、生きていてもしょうがないと思っているからだ。いや、これは自分自身に対する戒めの言葉であって、支援反対というわけでない。臓器移植してまで生きながらえたくない、という心理と同じ。

話題に飽きた

最近は体面というものを特に気にするようになってきた。体面というよりは恥だろうか。

歳を取るにつれ、天界の存在を感じるようになってきたからかもしれない。

死ぬのなんてまだまだ先のことさ、という考えとは別に、ふとした拍子に死の気配を感じるような気がするのである。災害についてのニュースを見ているときや、環境問題の記事を読んでいるときや、釣りをしているときにそんな気分になると、「死期でも迫っているのか?」と心配になってしまう。

死は紛れもない現実であるにもかかわらず、あまりにも現実とかけ離れた現象だ。死を怖いと思うのは、得体が知れないからかもしれない。

死は無だと言われる。そう、生者には証明不可、到達不能と思われるところが似ている。

死んだ後、現在の肉体とはまったく異なる原子や素粒子の波となって、最終的に擬似生命のようなものになったら面白いのだが。

本題

4/4 (土) に LPIC レベル 2 の試験を受けに行った。

LPIC とは Linux の認定試験のことである。レベル 1 の資格を得るためには 500 ページもある教科書の前半部分を範囲とする 101 に合格し、さらに後半部分に相当する 102 に合格しなければならない。レベル 2 も同様で、 201 と 202 を合格しなければならない。

当然、レベル1 の資格を持っていないとレベル2 の資格がもらえない。

うちの会社からレベル2 を取れと言われたとき、 LPIC に関する情報なんてなかったので、 レベル1 とレベル2 の 2 つの試験を受ければいいんだなと簡単に考えていた。

会社からは、レベル2 に合格すればいい、合格したという事実さえあれば、資格は後でもいいから、と言われていたので、とりあずレベル2 から受験することにした。この辺りで、やれといわれたことを渋々やっているのが分かる。

そして 3 月から勉強の日々を過ごして来た。

先日 201 の受験予約ができたので、おっとり刀で出かけてみた。最初はさくさく入力していったのだが、次第にうなり声を上げたくなってきた。

あるコマンドのオプションを書けとか言われるわ、見覚えのない出題範囲が出ているわ、 1 章分の範囲 Samba / NFS の部分がごそっとなくなっているわ、見直しのために分からない問題にマークをつけていったらちょうど半分になった。つまり、 60 問中の 30 問である。

だいたいオプションを書けという問題はひどすぎるじゃないか。 6 割の正解率で合格できるらしいが、単純な 4 択とかならまだしも、入力問題や、複数チェックの問題があるので、勘に頼っていたのでは合格までに相当な出費を覚悟しなくてはならない。ちなみに 1 試験 \15,000 くらい。

見覚えのない範囲はネットワーク系の内容だった。ネットワーク系の仕事をしていたことはあるが、コマンドの細かいオプションなんて覚えていないし、無線のコマンドとか言われるともうお手上げである。だいたいサーバで無線ってあまり使わないだろ。何度アミダクジを作って選択してやろうかと思ったことか。

不幸中の幸いだったのが、 見覚えのない範囲に BIND が含まれていたことだ。仕事の関係で BIND には若干馴染みがあったので、やればできると言い聞かせ、発熱するほど頭を使って答えをはじき出した。

問題を終了させたとき、ギリギリ受かったと分かって冷や汗が出た。

アブネー。やはり神はいるね。努力を認めてくれたんだね。でもこんなことで運を使わせないでよパパン。

  • 出題範囲の変更→不運
  • 合格→幸運

相殺してくれないかな。

え、オレ? もちろん無神論ですよ?

たわごとは置いといて、 Linux 教科書 – LPIC レベル2 第2版が役に立たないのはどういうことだと小 1 時間ほど問い詰めたい気分だった。家に帰って LPIC のネットをみたら 4/1 から出題範囲が変わっていたギャフン。

こっそり出題範囲が変わっているなんて思いもよらない。

Updated: 2012/6/5 火曜日 — 15:48:46

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Bloody Mary - blog © 2008 - 2016